
人間として私たちはペットの生死を操作することはできませんが、どうしても最終決定を迫られる場合があります。たとえば、安楽死をさせるかどうかです。「安楽死」という言葉は、ペットを飼っている世界中の人々を震え上がらせます。ある人は、安楽死させることは神を冒涜する行為であり、不自然極まりないと考えます。一方で、肉体の苦痛、精神疾患、または動物虐待による苦悩から動物を救うためにも安楽死は必要であり、人間として選択可能なぎりぎりの救いの手だ、という見方をする人も居ます。安楽死を決めることは決して簡単ではありません。さらに、安楽死の決定は個人的な判断によらなければならないのです。
安楽死は合法的な手段です。ペットの飼い主にとっては必要な選択肢の一つです。ある意味で安楽死はペットのサポートや保護、生活の質や健康に関してなど、さまざまな責任の延長線上にある、ペットの飼い主にとっては究極の責任の一部です。
ある特別な状況の下では安楽死を決定するのはやむを得ず、正しいと考えている人は、この選択がどれほど責任が重く、感情的にも葛藤に満ちたものであるのかをよく知っているのです。安楽死を軽々と決めるような人はいません。感情的にもペットの苦しみをどうにか終わらせたいという一途な思いがもたらす、唯一の決断であると確信しなくてはなりません。飼い主である私たちは、ペットが元気で気持ち良く生活できるように気を配る義務があるのです。どうしても安楽死の決定をしなくってはならない時がきたら、その決定が絶対正しく必要なことだと確信しなければなりません。私たち一人ひとりが安楽死の決定に関して適切な行動をとるために、モラルと合法的責任をもってあたる事が大切です。
ペットの飼い主として、私たちはペットの安楽死を真剣に考えざるを得ないときがあるものです。そんなとき、私たちは病気やけがをどうすることもできない無力感と絶望に苛まれます。ペットの安楽死の決定を延ばせば、ペットは肉体的な苦痛に耐えながら数日を生きながらえるかもしれません。それでも、あなたは決定を延期しようとするかもしれません。それはペットと少しでも長く一緒にいたいからです。あなたの愛するペットの生命を自分の手で終わらせる決定をしなくてはならないことで、自分を責めるのかもしれません。あなた個人の信念や霊的なものの考え方が、その決定に大きなウェイトを占めるのです。
安楽死の決断を引き延ばすことは、あなたには前向きな良い判断に思えるかもしれません。まったく医学的な治癒の望みも治療法も無い場合、決断を引き延ばすのは一時的には良いことかもしれません。それが避けられない事から逃れる一つの方法だからでしょう。
しかし、安楽死の決断を先延ばしにしないことでペットの生命に敬意をあらわし、名誉を与えてください。同様に、ペットに対するあなたの愛にも祝福を与えてください。
安楽死を速やかに決断し、これ以上ペットを苦痛で消耗させないようにすることが、あなた自身をも感情の混乱から救う事なのです。安楽死の決定によって、ペットのますます辛くなっていく痛みと、それによる悲惨な状況を取り除き、あなた自身をも救ってあげてください。