
ペットが死んだとき、あなたは死別の悲しみの中で、ペットに対してちゃんと義務を果たしていなかったという罪悪感を持つ事があるかもしれません。あなたは、ペットは私しか頼る者がないという道徳的な仮説を立てます。あなたは常々、全ての面でしっかりと動物の世話をし、飼い主としての義務を立派に果たしているという事で世間にも評価されています。ペットの死でその世話が終わってしまうと、あなたはペットの世話を納得いくようにできなかったと言って自分を非難するかもしれません。あなたの感情は、あなたがペットの世話に失敗したというメッセージを送ろうとしがちです。ほとんどの人は世話が不十分だったために、ペットが死んでしまったと感じるものです。
恥ずかしいとか気が引けるという感情は罪悪感と関係があります。この罪悪感と屈辱感は、どちらも何かを正面から見ないで目を逸らすという、ネガティブな反応が生み出したものです。この反応は「私がしなくてはならないことをしていなかった」という義務を果たせなかった罪悪感から生じたものです。私たちは罪悪感を必要なレベルの範囲でしばしば許してしまいます。科学的な調査や専門的な分析では、罪悪感は人間独特の感情だといいます。しかし、私たちはペットのしつけでペットを叱ったりするとき、期待通りにペットが行動しないからと言って暴力を振るったりします。そう、自分の感情をペットに向けて発散してしまいがちなのです。
罪悪感の原因をよく調べてみると、ペットに対する責任というところに鍵が隠されているようです。あなたはペットの栄養管理や暮らしの質など、あらゆる点に至るまでしっかり責任を取っているでしょうか。ペットはあなたを頼っています。ところが、そのペットの死で責任が消滅すると、あなたは自分自身の思いの被害者になるのです。つまり罪悪感は、責任の消滅と納得のいかない思いがペットに対して適切に責任をとって面倒を見ていなかったという罪の意識を自分自身でつくりはじめます。
多くの場合、罪悪感は死を慎むプロセスのごく初期において怒りの感情の前段階で不信感が生じたあとに芽生えます。こうした感情はなかなか強力で客観的な考え方をする力を奪ってしまいます。あなたは想像を交えながらペットの話を始めることでしょう。「こうすべきだった」など、自分のしたことやそれまでの自分の行動が十分でなかったこと、たまには怠けていたことを深く反省するようになります。このようなとき、私たちは自分の能力以上の、到底できそうに無い事をしようと努力するものです。
深い悲しみの結果、あなたに大切なものは、あなた自身の強さです。その強さをもちながら自分らしく生きることが、今のあなたにとって最も大事なことです。ペットを深く愛してやまないあなたは、素晴らしい人間で有り続けるのです。今あなたがすべきことは、悲しみの時期を建設的なものに変えること、死を慎み、苦しむ心を開放してしまう事です。さらに、ペットの肉体の死があなたと幸せだった関係の終わりではないということをしっかりと理解することなのです。