
孤独とは、自分を理解してくれない人たちから逃れようとして作りあげた隠れ家のようなものです。ペットを失ったあなたは一人になりたいと思います。深い悲しみに打ちひしがれているあなたは混乱し、苦しさや辛い想いで胸がいっぱいです。自分自身が苦悩の海に溺れ、他人の反応や答えまで誤解して受け取ってしまうこともあります。そのうえ、あなたは説明のつかないバリアのようなものを自分の周りに張り巡らせ、他人の助けの手すら振りほどこうとします。
ペットが死んでしまった今、あなたは感情的にすっかり弱くなっていて、罪悪感や悲しみの感情などが一気に沸き上っている状態で、建設的な意見をいわれても上手く対処できないのです。意見を述べている人は、あなたが今どんな状況なのか、生前のペットとどれほど親密な信頼関係を分かち合っていたのか知らないのです。あなたはペットが死んで悲しんでいる自分によくそんな酷いことが言えるものだと思うかもしれませんが、その人たちの狭い視野から出たもっともな指摘を悪いと決めつけてしまってよいのでしょうか。
他人の批判は、あなたが自分の孤独を正当化する本当の理由を見つけてくれるものです。しばらくの間、あなたは間違いなく一人ぼっちになってしまったという疎外感を当たり前のことにしてしまうでしょう。こんな大変な時に、あなたを救う事が出来ない人間関係にも、深い意味とそれを見る為の価値があります。あなたがその人たちに怒りを表現したら、きっと後になって後悔することでしょう。
ペットに死なれて悲しみの最中だというのに、いちばん身近にいる人たちは何も反応しないかもしれません。でも、彼らの沈黙こそ、意味の深いものなのかもしれません。あなたが嘆き悲しんでいるのに知らん顔。おまけに言葉もかけません。あなたはその様子を見ると、まるで自分が非難されている、批判されていると誤解します。でも、彼らの言い分は悲しみと怒りに打ちひしがれているあなたに話しかける事が出来ないと思っているのです。
無作法な人や無神経な人を正常にすることはできませんが、あなたが自分の心の傷を癒し、ペットが死んでからも元気に生きていくための強さを自分の中から引きだすことはできます。あなたの繊細さを理解できる人に焦点を合わせることです。ペットとの関係をよく考えてみる為の孤独な一人の時間と、ペットの死を慎んで泣き悲しむのは、決して異常なことではありません。かといって、ペットの死を嘆き悲しむあなたを批判する人々を避けることは健全とはいえません。