
死を否定することは、死を慎むプロセスの初期段階に起こります。これは人が死を理解しなくてはならないというショックと同時に発生する不信感と混同しがちですが、不信感と篠否定は全く別のものです。
死を否定することは絶望や現実感覚の欠如を生み出します。死を否定したところで、死を処理できません。悩める人は死を頭から拒絶しようとして現実から目を背け、現実を変えてしまおうとします。死を否定することは、避けては通ることが出来ない死を慎む体験をしないまま、大切な体験をとばして進むことになるのです。
否定は最初のショックと不信感に引き続き起こり、特に罪悪感や怒りなどの感情反応に続いておこるものです。ある人にとって死がもたらす心の乱れとどうにもならない状態は、まるで悪夢で現実ではないものとして映ります。ペットはまだ生きていると信じる思い込みが残酷な現実に戻るのをほんの少し遅らせ、その辛さをやわらげはするものの、慎みのプロセスにとっては大きな障害でしかありません。否定することは現実逃避です。
最初に訪れる否定の感情は心を保護してくれます。それでも否定はあっけなく終わってしまいます。すぐに他の現実の要素が割り込んできて、死の事実を突きつけます。そうなると、それまで首位の座にいた「死を否定すること」を急いで処置しなくてはなりません。まずは否定することを体験し、そのあとで否定を受け入れてください。そうすれば、深い悲しみのヒーリングプロセスの次の段階に行けるのです。
あなたが否定の段階にいるとき、あなたの中に潜在している心理的な別の問題が浮かび上がるかもしれません。否定の根源にあるのは、実はあなたが他人に厳しく批判されている事なのかもしれません。そんな感じを受けるのが否定の極みの状態です。自分の中にあるもの以外に人は反応しないものです。また、他の潜在している心理的問題が同時に発生して浮上する事も考えられます。一番良い方法は、自己否定を手放せる日まで否定を抱えていることを自分に許すことです。ただし、たった一つの例外は、心理的に危険性が有る事です。その場合はプロのカウンセラーのサポートを受けるようにしてください。